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​杉並の風

Pink Sugar

「杉並の風」を満喫し、杉並区を終の住処にする

                                                                                山岸 典博 (H6 総政)

 

私は、2008年2月から杉並区に住んでいる。 杉並区は、私に文化的な生活を存分に提供してくれる。これが、私にとっての「杉並の風」である。
  
 昨年11月29日に大田黒公園でライトアップ期間に先立ち開催された写真撮影会に参加した。大田黒公園は、音楽評論家の大田黒元雄氏の屋敷跡地につくられた回遊式日本庭園である。檜の門、石畳、茶室、茶室の近くの水の流れ、そして大きな鯉が住まう池などを満喫できる。参加費用は、たったの500円であった。


 また、昨年11月28日に杉並公会堂で日本フィル公開リハーサルが開催され参加した。指揮者のパヴェゥ・カプワ氏、ピアノ奏者のセドリック・ティベルギアン氏、そして日本フィル楽団員の音楽づくりを間近で満喫した。参加費用は、なんと無料であった。
 これらは、初めての開催ではないから驚きだ。

 更に、杉並区は自然豊かな街だ。善福寺川緑地の川に沿って伸びる散策路沿いの桜並木は格別だ。ここでは、春の桜は勿論のことだが、秋の紅葉、そして、冬のカモが水辺で羽を休める姿まで、四季折々の変化を楽しみながら散策ができる。

 私が杉並区を知ったのは1990年頃のこと。その頃は、荻窪駅北口に隣接して「鳥もと」という居酒屋があった。確か、ビールケースをテーブルの足代わりにしていたと記憶している。現在は移転して、本店と2号店に分かれて営業している。北海道出身のオーナーは特徴的な方である。荻窪駅北口は随分と綺麗に様変わりしたものの、ところどころで昔ながらの趣を残していて面白い。
 私は、2024年3月27日を最終出社日として会社勤めを辞めた。これまでの30年間、仕事ばかりの人生を過ごしてきた。土日に仕事をするのは常習的であり、夏季休暇でキャンプに行ってもビジネス書数冊を読み漁るような人生だった。無駄だったとは思わないが、無理をしてきたのかもしれない。気がつくと昨年9月に他界した父親が脳梗塞で倒れて言語を失った年齢に近づいていた。
 私は、今、少し立ち止まって「杉並の風」を満喫しようとしている。  

新年のご挨拶
    分科会活動を楽しもう

代表世話人 桑島文彦(44工)
  皆さま 明けましておめでとうございます。お元気に新年をお迎えになられたことと存じます。
昨年は6月に三田キャンパスで総会懇親会を開催そして12月に吉祥寺エクホテル東急で忘年懇親会を約150名の参加者を迎え楽しんでいただきました。
 分科会活動も世話人の皆さんの努力により 活発に展開されました。休会中だった「知的好奇心の会」の再開 そして 新たに「麻雀を楽しむ会」「気ままに楽しく歌おう会」「ユニコン俳句の会」の分科会が発足しました。分科会活動を楽しみましょう。

 また 新入会員拡大のための入会促進活動も積極的に実施し 昨年10月に杉並区在住の60代の塾員1200名に案内パンフレットを返信ハガキとともに送付しました。今後 返信ハガキをフォローし三田会そして分科会入会に繋げていきたいと考えています。

 さて能登半島では 地震に続き豪雨災害があり 能登半島の人々は復興の意欲を無くすほどのダメージを受けました。
いずれ復興支援のツアーを企画したいと思ってます。その時は参加のほどよろしくお願いします。        

 ところで 現状 会報委員、ホームページ委員の世代交代が求められています。やってみよう手伝ってあげようと思われたら 直ちに連絡をお願います。

 今後も皆さまが「塾員で良かった」と思える組織になるよう努力をしていきます。ご期待ください。
皆さまも近隣の塾員に声をかけてください。三田会ライフを一緒に楽しみましょう。

 最後になりましたが 皆さまのご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。

 
大相撲前田山と前田和三郎

前田 昌信 (S35 工)
    親父の信条は謙、誠、愛でそれぞれ息子に、一字ずつ名前に入れた。私には昌の字?これは幼くして亡くなった兄貴の戒名の一字を戴いたものと言う。さて、京大出の親父と慶大医学部のつながりは熊本大学に赴任したばかりの親父が熊本出身初代医学部長北里柴三郎先生に慶応義塾大学医学部を充実するべく整形外科部長にと乞われてだったと言われている。
 
出会い 
   そんな中に佐田岬という有望力士が居るのだが、骨髄炎になり医者が手を放し、親方にも邦に帰れと言われた。貧乏なため飯が食いたいと兄を頼って東京に出て相撲に入門した位だから金はなし。何とかならないかと御贔屓の方が連れて来られた。
 幸い、施療という治療費抜きで治療するというシステムがあったそうで、不治の病と言われる骨髄炎の右上腕骨を目いっぱい削ったそうである。しかしこれではもう相撲が取れないと逃げて酒飲んで喧嘩して捕まったので谷町の方に懇々とお説教され、戻ったという事件があったそうだ。流石力士の体は頑丈、患部の上椀骨は前より太くなり再び番付も上がり、大関の声もかかるようになった。
 当時には今の週刊誌のようなお噂話の誌は無く、少年倶楽部に取り挙げられ、全国版になったようだ。この時だったと思うが、親方にも無断で四股名を前田山英五郎にしたいと言って来た。当時の親方は朝潮、部屋には松登や東富士などいたが、両国の燕タクシーに乗って麻布の家に現れた。タクシーはトラックの様に4枚タイヤ、それでも見ているとタイヤはふにゃふにゃしていたようだ。要件は彼らの四股名にも前田を入れたいと言うことだった。第一、人の名前などとんでもないことの時代だった時代だったが、彼特有の押しで押し切って認められた様だった。弟弟子の改名の件はひたすらご容赦願ったが、本人の件は彼特有の押しで押し切って認められた様だ。贔屓も減るだろうし勤め人の身分ではご祝儀も出せないと言ったが、それで良いと言うので相撲協会に認めてもらったようだ。後日談として私の母親の話では応接間のソファーから立ち上がろうとしたら、ソファーから力士のお尻がぬけず、ソファーごと持ち上がるので助けを呼んでいたと話していた。も少し立派なソファーが要ったねと。

 








    人の言うことを聞かず、勝手に新しい事をどんどんやる前田山は鬼にたとえられ、なかなか横綱になれなかったが三十九代横綱に。弱いかというとそうでもなく双葉山とは1939年5月場所同体取り直し後水入り相撲になっている。羽黒山、双葉山、名寄岩や旭川等立浪部屋全員を張り手で倒したと言われる。張り手は汚いと嫌われたが、双葉山は張り手も相撲の手の内と言っていたそうだ。
 体調を崩して大阪場所を休場、東京へ出て届を出す折に何時も会うスポーツ記者に今サンフランシスコシールスが来ていて読売ジャイアンツと野球を一戦交える。切符があるので行かないかと誘われた。もとより野球好き、お忍びで・・と言うことだったが、オドール監督と握手するはめになり、それが新聞に大々的に報道され、場所中に相撲休んで野球見物とは何事とばかり引退を迫られた。
 その後アメリカGHQのエクスキューズでの計らいか、アメリカに招待され、大統領の前で土俵入りの型を披露してくれと声が掛かった。親父に、外国など行ったことも無いし、どうしたらいいのか?と相談に来た。とにかく外国を見て、体験すれば怖いものは無くなる。行ってきなさいと彼を送り出した。ただ、お尻の割れ目が見えるのは良くないとパンツを履かされたと笑っていた。外国の女性達の相撲部屋の稽古見学も大勢来るようになり、別に気にしないようになったと思われる。

高砂親方に跡継ぎを託され、鬼のような相撲前田山は優しく弟子、後輩を育てる高砂親方に
  以後ハワイ、ロンドン巡業など外国へ日本の国技を広め、更に協会では外人は物にならないと言われた外人力士を受け入れ、国際部長と言われるぐらい相撲の国際化に貢献した。高見山、小錦、孫弟子曙、 日本での生活に良いと洋式便器を外国巡業で見つけて買ってくるなど新しい物好きが弟子、後輩を考えた有用なものの先鞭をつけた。また、日本人も不法入国者となりかねなかった朝潮の身元引受をしたり、次の朝潮大ちゃんを育てたりした。

断髪式
   高砂部屋後援会長を持ってきたので勤め人ではご祝儀は無いよと断ったが積極的にやりたいという御仁が多く、纏まらないので先生なら誰も口を出すことがないと言われ引き受けたという経緯があったと聞いた。爾来石井光次郎氏に誘われ横綱審議会員を務めた。相撲取は怪我が多いのでと相撲診療所開設を提案したと聞いている。
 話は戻るが女相撲というのがあって同時代親交のあった花形「若緑」が引退を余儀なくされ、彼女の引退相撲を飾ろうと1957年地元の松山の巡業で引退相撲を開き、土俵上で若緑と挨拶をおこなった。彼女は土俵は女人禁制との理由で固辞したが、時代遅れの古いしきたりだ。日本の封建制度は戦後終わったと説得し、実現に漕ぎつけたという

 親父は貧乏暮らしだったが、優秀な優しいお弟子さんが全国に居られ、病に取りつかれひっくり返った時も助けて戴き、感謝している。信条、謙誠愛が受け継がれていると感ずる。 
ミルフォード・トラック
大森 久枝 (S49 経)
    2018年11月「世界一の散歩道」と称される、ミルフォードトラックトレッキングツアーに、S40~49卒の女性6人とガイドさんの7人で参加。11月15日成田から飛び立った時の高揚感は忘れられない。クイーンズタウンは小さな美しい町。ホテルチェックイン後Ultimate Hike 社の説明会に向かった。翌日からの行程を迫力ある映像で観賞、期待に胸が高鳴る。ワクワク気分の私たち、最初の夜はメキシカンで大いに盛り上がった。
 
   翌朝、気分は上々。いよいよ出発だ。バス車窓からの牧歌的な風景に癒され、ボートから雄大な景色に感激しているうちに最初の目的地グレイド・ハウスに到着。「ワオ!おっしゃれー!」山小屋は清潔、快適、フルコースディナーにニュージーランドワインにテンションが上がる。そして緊張の英語での自己紹介タイムを無事終え、早寝。
 
   朝、美味しい朝食、そして各自ランチ用のサンドイッチを作る。ふんだんな食材に目移りする。三々五々出発。7キロあるリュックもなんのその、美しい岸辺にため息をつき、吊り橋を渡って、ブナの森を歩き、谷間の両側に聳える絶壁に感動する。ランチ小屋で食べたサンドイッチの美味しかったこと!ゴロゴロ道を登ったり、渓流を渡ったりとちょっとした冒険気分を味わいながら2日目の山小屋に到着。ウエアを洗濯、乾燥室へ。そして楽しみなワインとディナー。喜びも束の間、翌日の予報は荒れ模様でかなり危険との事。
 不安は的中。翌朝みぞれの中出発。最難所の猛吹雪のマッキノン峠越え10時間の壮絶さ過酷さは筆舌に尽くしがたい。遭難、ヘリコプター救助が頭をよぎったほどだ。ヨレヨレでたどり着いた私たちを他の参加者全員が「ブラボー!」「アメージング!」と拍手で出迎えてくれた。心身ともに疲れ切った1日が終わった。
 
   4日目は21,6キロを歩く。昨日とは打って変わって快晴。シダの森、せせらぎ、圧倒される自然美にため息の連続だ。そしてミルフォードの中で一番優美と言われている滝を眺めながらのピクニックランチ。そして私たちは万感の思いを胸に最後の5キロを歩きついに最終地点に立った。トレッキング最後の夜はパーティで大盛り上がりだった。
 
   5日目は神々しく朝日に輝くマイター・ピークを眺めながら起床。もう重い荷物を背負わなくていい。真っ青な空、澄んだ空気、絶好のクルージング日和。海からしか眺められないフィヨルドの景観は息を飲むほどの美しさだった。こうして夢のような54キロ踏破の旅が終わった。
 
   最終日は山の上の絶景レストランでランチしたり、ショッピングしたりとクイーンズタウン観光を満喫。そして全員元気に日本に帰ってきた。
 この旅行の全てをお世話くださったDiscover Japan の横倉陽介さんに心から感謝の気持ちでいっぱいだ。
仏・独国境の街
矢古島 泰三 (S44 法)
    ストラスブール。フランス西部アルザスの古都、EU議会もある。ライン川を歩いて渡ればドイツだ。
私は肝臓がんの手術後、涼しいところでちょっと贅沢な静養をと、15日間同地のホテルに家内と逗留した。15世紀の大聖堂や魅力的な木組みの家並みなどのある美しい街並みだが、フランス語は話せず、退屈するのではと危惧していた。
  その時の救いの神が、フランス人と結婚し現地に住む、日本人女性たち。旅行社のバイトで我々のアドバイザー役だ。センス、マナーとも良く、魅力的で、時には乳母車に乳児を乗せやってくる。
 彼女たちの、日常使っているお店や、誕生日など非日常のお店、また、週末の家族ドライブコースなど、買い物も食事も外れはない。
 市内では、ケーキの美味しいサロン・ド・テ巡り。電車で近隣の街、コールマールやメッスなども美しい。足を延ばすと、スイスのバーゼルやドイツの黒い森と見どころ満載だ。毎日、今日は何をするか、天気予報を見ながら彼女たちと相談して決めていた。
 彼女たちの日々の生活ぶりなど聞いていて驚いたことがある。子供が通う小学校では、月・火・水曜日の授業はフランス語で、木・金曜日はドイツ語だという。その理由が、「ここはドイツになるかもしれないから」とあっさり言われた。たしかに仏独の戦争の歴史は悲惨なもので、何百万もの人が亡くなっており、国境線もころころ変わってきた。
 そう言えば、昨年滞在したオーストリアのインスブルックから、電車で1時間強、イタリアのブレッサノーレでも、小学校の授業は科目別に、例えば、国語と社会はイタリア語、算数と科学はドイツ語というふうに授業をしているとのこと。
 いまは8大文明の時代とするアメリカの学者の説がある。西欧キリスト教文明のなかでは、小学校教育にも、こんなことがあるんだと妙に感心した。
 いま起きている戦争は、文明の衝突だとも言われている。イスラム教文明と周辺国の争いはいつ果てるとも分からない。ウクライナの戦争は、ロシアを中心とする東方正教会文明と西欧キリスト教文明の境界線で起きている。
 さて、この文明論で日本は、中華文明圏ではなく、日本文明として独立しているとのこと、何となく、誇らしげに思っていた。
でも、いざ危機といったときに、日本を助けてくれる国はあるのか。脱亜入欧は古いにしても、G7メンバーは日本以外すべて西欧キリスト教文明の国だ。何となく、民主主義の考え方など、西欧諸国と近い感じでも、違うものは違うとも思える。西ヨーロッパの近隣関係が、幾多の戦争を経てきているとはいえ、うらやましく思う。

『イタリア・スペイン旅行 1996年』 

                                                                                   島川 修子 (H03 法)

慶応義塾大学を卒業して、父の会社に入社。注文建築を設計監理、100~200坪の邸宅型プロジェクト、日本調、ヨーロッパ調の鉄筋コンクリート造鉄骨造の建築設計監理、インテリア、エクステリアの製図実務に取組む内に、私は、昼間は1級建築士事務所の取締役として勤務、夜間はヤマギワリビナアカデミア照明専門学校と日建学院五反田校に通学、1年間国家試験に望み、晴れて建築士資格を登録しました。都心型分譲敷地に鉄筋コンクリート造地上3階地下1階自家用車2台駐車場付の会長社長2世帯邸宅フランス様式建築を竣工したのは1994年。実に施主のご夫妻と1週間に3日はお会いして議事録プラン、製図する日々。先生と共同作業を重ね、実施設計は2年を越す工程でした。

 飛行機体研究家の自邸、医師画家ご夫妻の分譲マンション、箱根太郎平菅原仙石原に超高級メゾネット型テラスハウス、新宿東京銀座日本橋渋谷池袋駅の百貨店家具什器トルソー、青山吉祥寺レストランカフェ、西新宿の有名な超高級ホテル、中高層企業本社ビルと次々に建築物を完成します。

建築資料集成 日本建築学会編を読み図面、布地尺角サンプルを整理していたある日、私は、1冊の本『西洋建築物語』を見つけます。事務所にはプロジェクトの平面図、立面図、断面図、矩計図、基礎伏図、天井伏図他、村野藤吾建築家、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファンデル・ローエ、ル・コルビュジェの専門書籍とゼネコン矩計図、家具、日本製ヨーロッパ製輸入壁紙、天井紙、フローリング材、御影石、玄昌石、大理石、高級カーペット、カーテン布地、ブラインド、超高級システムキッチン、シャンデリア、ブラケット、照明取付用彫刻モールディング、手製の親柱の彫刻、鏡台、ティファニー社ステンドガラスパーツ等、ありとあらゆる建築資材を事務所のビルに保管しています。 

私は先生と専門家と通訳と一緒にフランス、イタリア、スペインの工房に同行しました。

 

帰国後、この感動を母に伝えなければと思い一緒にヨーロッパ観光旅行に訪れます。

母は自宅の居間の机に向かって日記帳を1冊手作り。 

 

イタリア旅行 

成田空港発 ド・ゴール空港経由 ローマ空港着 

トレビの泉 スペイン広場 サンタ・マリア・マッジョーレ広場 

バチカン市国 カメオ ミラノ大聖堂 ヴェネチア  ガラス工房 ホテル泊

フィレンチェ サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 

ミケランジェロ広場 ウフィッチィ美術館 レストラン ホテル泊

ナポリ  青の洞窟 ソレント ホテル泊

ローマ空港 成田空港着

 

スペイン旅行

 

成田空港 英国航空ロンドン経由 マドリード空港着

プラド美術館 セゴビア旧市街 ローマの水道橋 モンセラット トレド ホテル泊

バルセロナ アントニオ・ガウディのカフェミラ サグラダファミリア グエル公園 フラメンコショー ホテル泊

コルドバ  セビリア グラナダ アルハンブラ宮殿 金細工 コスタデルソル海岸 5つ星ホテル泊

マドリード空港 ロンドン経由 成田空港着

 

 今、両親と思い出しても、1996年のこの旅行は暮らしに影響を与えてくれました。

ヴァイオリンが趣味の母は、音楽の幅が広がりオーケストラクラシックの楽譜を勉強するようになりました。

私は、これ迄はフランス、オーストリアの音楽が主でしたが、イタリアとスペインの音楽も聴くようになりました。

ピアノ練習はヨーロッパの街を想像する事が出来ます。

絵画は記念に油絵F6号~30号に描き自宅の居間の壁に飾り親しい友に贈ります。

展覧会に日本の街並みとヨーロッパの街並みを紹介する事が楽しみになりました。

杉並の風バックナンバー<WADAX 接続:2025.6まで>

  2024.08 「赤毛のアン」の家をカナダの最果ての島を訪ねる   松江 裕二 (S57 経)

  2024.07 武藤塾での恩返し  武藤 隆二郎 (S42工)

  2024.06 オーストラリア大陸横断鉄道の旅      鈴木 正隆 (S51 工)

 2024.05 五街道を歩く  秋葉 忠臣(S42 工)

  2024.04 地方国立大学大学院での 4 年間の教授生活を振り返って  谷口 成伸 (S57 経)

 2024.03 Dialogue in the Dark・・・暗闇の中の対話 吉川 清(S32 法)

 2024.02杉並のチベットに住んで 塙 耕平 (S44 商)

  2024.01新年のご挨拶桑島 文彦 (S44 工)

2023.12 野花の乱れ咲くアフリカへ飛ぶ 岡川 栄司 (S41商)

 2023.11 引き算の芸術 松本 久仁子 (H9.環境情報)

 2023.10 文楽を観に行ってみませんか 内藤 忠雄 (S52 工)

 2023.09目指せ,日本一 水本 陽子(H20 法)

 2023.08  日本茶の「?」にお答えします!岩田 裕(S54 法)

 2023.07 ラグビーワールドカップフランス大会に寄せて田中 吉彦 (S56 文)

 2023.06 川は流れる 原田 威夫(S28 経)

  2023.05 今どきの年寄りは 匿    名

 2023.04 音楽交際について 石川 正直 (S46 法)

  2023.03 コロンバンガラ島・1万2千名の救出作戦
                ――殉死した兵士への供養塔・杉並区堀之内西方寺―― 宮間 宣幸 (S39 法)

  2023.02 私とワイン 景平悳雄 (S37 工)

  2023.01 新年のご挨拶 桑島 文彦 (S44 工)

 2022.12  悠久の時を刻む古時計長谷川 忍 (S44 経)

 2022.11  ひょうたん池と飛行機広場 此島 育子(S50 文)

  2022.10  ハワイ音楽の遍歴 山田 義範 (S33 経)

 2022.09 なまくらなヨーガ瞑想法 鈴木 正幸(H25 文)

 2022.08  九州屋久島へ! 久保田 宏(S46 工)

 2022.07 お伊勢参り 山田 多知見 (S59 文)

 2022.06 ドングリ 南波 悦子 (S50 法)

 2022.05 私と「ふるさと」の縁 船田 昌喜 (S51 経)

 2022.04私説 南河内風土記 近江岸 敏明 (S49 商)

  2022.03 浅田次郎にハマった私 小池 一朗 (S52 法)

  2022.02 舞伎と私 渡部 隆 (S44 法)

 2022.01 新しい年 デジタル化推進の年を迎えて 秋葉 忠臣(42工)

  2021.12 犬 原 民子(S45 文)

  2021.11 様々な風 岩竹 徹 (S49 工)

 2021.10 我が家のわんこ和田 洋子 (S46 文) 

  2021.09 杉並三田会の更なる飛躍を願って 中村 雅美  (S38 工)

 2021.08 お魚の食べ方 松木 祥直(S40 経)

 2021.07 愛犬ジローとの18年9か月山崎 承一(S45 商)

2021.06  驚異的な嗅覚 勝呂 冠宇(H13 環境)

 2021.05   町会長は楽しい 下河内 隆士(S46 経)

  2021.04  『己書』と私 岩田 裕(S54法)

  2021.03  生誕地探訪 長島 昭 (S36 工)

 2021.02 フランス語の奇縁杉山 徹宗 (S40法)

  2021.01 新しい年を迎えて 秋葉 忠臣 (42工)

   2020.12  筋肉は裏切りません 前野 陽太郎  (S54 経)

  2020.11 “Keio Welcome Net (KWN)” の温もりを届けよう! 吉川 清(S32法)

 2020.10 スケッチの会5年生 三宅 正彦 (S52 経)

 2020.09僕のたからもの 渡部 晃男 (S44商)

 2020.08 鉄道研究会卒 宮崎 泰児 (S47経)

 2020.07 コロナと二宮金次郎 林 明 (S43 商)

 2020.06  真向法体操 武居 弘泰(S37 法)

 2020.05 年寄の冷や水 曽我 一紀(S38 法)

 2020.04 インドに行ってきました秋田 敬子 (H01 法) 

 2020.03 味と思い出 横田 順子 (S36 商)

 2020.02 「我が家の厩舎から 」 高山 恒男 (S43 法)

  2020.01 「未来の可能性を秘めた新年を迎えて」 服部 泰(41法)

 2019.12 ウィーンの夏 渡部 徹 (S47経)

 2019.11 手相を知ること 小林 ますみ (S57法)

2019.10 米国ドライブ旅行鈴木 正隆 (S51工)

 2019.09 恩師からいただいた一冊の本 「海軍主計大尉 小泉信吉 小泉信三著 金井 宏之 (H51法)

 2019.08 「フィドル」と「ヴァイオリン」-同じ楽器?違う楽器? 西  守 (S45 経)

 2019.07 傾聴の精神 栗山 稔朗 (S40 経)

 2019.06 生き甲斐になったダイビング 山内 俊一(S41工)

  2019.05 人生100年のロードマップは描けたか 木村 雄二 (S45工)

  2019.04 銘仙に魅せられて 古後 利佳 (S56文)

 2019.03 テニス仲間とハワイへの旅 塙 耕平 (S44商)

 2019.02 船と私、日常とは異なる空間 加藤英一郎(S44 工)

 2019.01 良く学び、よく遊ぼう 服部 泰 (41法)

 2018.12 都会のオアシス 水本 陽子(H20法)

  2018.11 北海道 万歳! 岩田 雅之(S44商)

  2018.10カントリーミュージックに親しんで60余年 松本 毅 (S41商)

 2018.09  九死に一生 市村 美知子(48工)

 2018.08 副代表を退任して 小田 伊津子(42文)

 2018.07 近田舎(ちかいなか)・秩父遠藤 富士夫(S48 法)

 2018.06 肥満は「現代の伝染病」古郡 鞆子(S40商)

 2018.05「門前の小僧」お歌の手習い吉田 眞一郎(42法)

 2018.04 ナローボート運河の旅 野崎麻美子(S49文)

 2018.03 “60の手習い「ドラムス」”―ある本との出会い 中村 民平 (S44工)

 2018.02  私のチェロ人生 朝川慎一  (S40商)

  2018.01 新たな 第一歩を 服部 泰 (S41法)

  2017.12 御朱印との出会い 中村 隆 (S49工)

  2017.11 杉並三田会「スケッチの会」第12回グループ展  本間 博 (S37文)

 2017.10米国ワシントン州との関わり  大久保 浩司 (S45 経)

 2017.09クラシック音楽活動と日本の未来 大久保けい子(H6文)

  2017.08 ライデンとジン 竹下妙子(S40 商)

 2017.07 北米旅行-西部劇と思い出- 森下 尚 (S44工)

 2017.06 コップ半分の水 野沢聡子(S42文)

 2017.05 モンブラン登頂の思い出 岩崎 静江(S32 共薬)

  2017.04 私の歌の歩み小島 常弘 (S41 商)

 2017.03 音楽サークル Musikverein 創立15周年の節目を迎えて 高橋 克(S49 工)

  2017.02 The sooner, the better 最上 徹 (S38 経)

 2017.01 創立25周年を迎えて 服部 泰(S41 法)

  2016.12  音楽は人生のパートナー伊部 雄介(S41 経)

  2016.11 スケッチの会第11回グループ展 本間 博 (S37 文)

 2016.10  身近な自然に癒されて 野角みどり (S46文)

  2016.09 夏のヨーロッパオペラ三昧 今井輝美(S48法)

  2016.08 善福寺川緑地の風景 上東野 治男(S45 法)

 2016.07 下の句を忘れないで賀川 彰 (S45経)

 2016.06 余暇の楽しみ 中村 晴美 (S48共薬)

 2016.05 百名山と温泉の思い出 瀨川 隆二 (S47法)

  2016.04 私の杉並の風  中村  知好 (S45法)

  2016.03花見とハイキング  田熊 利彰 (S44法)

 2016.02”水素は凄いぞ !!!  松浦正好 (S43経)

 2016.01 ”新しい年”をむかえて 深堀博義 (S40商)

 杉並の風アーカイブズ

    2006年1月~2010年12月

    2011年1月~2015年12月

      2016年1月~2017年12月

​杉並の風バックナンバー<One Drive 接続:構築中>

 2024.01新年のご挨拶 桑島 文彦 (S44 工)

2023.08  日本茶の「?」にお答えします!岩田 裕(S54 法) 

2022.09 なまくらなヨーガ瞑想法 鈴木 正幸(H25 文) 

2022.08  九州屋久島へ! 久保田 宏(S46 工) 

2022.07 お伊勢参り 山田 多知見 (S59 文) 

2022.06 ドングリ 南波 悦子 (S50 法) 

2022.05 私と「ふるさと」の縁 船田 昌喜 (S51 経) 

2022.04私説 南河内風土記 近江岸 敏明 (S49 商) 

2022.03 浅田次郎にハマった私 小池 一朗 (S52 法) 

2022.02 舞伎と私 渡部 隆 (S44 法) 

2022.01 新しい年 デジタル化推進の年を迎えて 秋葉 忠臣(42工) 

2021.12 犬 原 民子(S45 文) 

2021.11 様々な風 岩竹 徹 (S49 工) 

2021.10 我が家のわんこ和田 洋子 (S46 文)  

2021.09 杉並三田会の更なる飛躍を願って 中村 雅美  (S38 工) 

2021.08 お魚の食べ方 松木 祥直(S40 経) 

2021.07 愛犬ジローとの18年9か月山崎 承一(S45 商)

2021.06  驚異的な嗅覚 勝呂 冠宇(H13 環境) 

2021.05   町会長は楽しい 下河内 隆士(S46 経) 

2021.04  『己書』と私 岩田 裕(S54法) 

2021.03  生誕地探訪 長島 昭 (S36 工) 

2021.02 フランス語の奇縁杉山 徹宗 (S40法) 

2021.01 新しい年を迎えて 秋葉 忠臣 (42工) 

 2020.12  筋肉は裏切りません 前野 陽太郎  (S54 経) 

2020.11 “Keio Welcome Net (KWN)” の温もりを届けよう! 吉川 清(S32法) 

2020.10 スケッチの会5年生 三宅 正彦 (S52 経) 

2020.09僕のたからもの 渡部 晃男 (S44商) 

2020.08 鉄道研究会卒 宮崎 泰児 (S47経) 

2020.07 コロナと二宮金次郎 林 明 (S43 商) 

2020.06  真向法体操 武居 弘泰(S37 法) 

2020.05 年寄の冷や水 曽我 一紀(S38 法)

 2020.04 インドに行ってきました秋田 敬子 (H01 法)  

2020.03 味と思い出 横田 順子 (S36 商) 

2020.02 「我が家の厩舎から 」 高山 恒男 (S43 法) 

2020.01 「未来の可能性を秘めた新年を迎えて」 服部 泰(41法) 

2019.12 ウィーンの夏 渡部 徹 (S47経) 

2019.11 手相を知ること 小林 ますみ (S57法)

2019.10 米国ドライブ旅行鈴木 正隆 (S51工) 

2019.07 傾聴の精神 栗山 稔朗 (S40 経) 

2019.06 生き甲斐になったダイビング 山内 俊一(S41工) 

2019.05 人生100年のロードマップは描けたか 木村 雄二 (S45工) 

2019.04 銘仙に魅せられて 古後 利佳 (S56文) 

2019.03 テニス仲間とハワイへの旅 塙 耕平 (S44商)

 2019.02 船と私、日常とは異なる空間 加藤英一郎(S44 工)

 

2019.01 良く学び、よく遊ぼう 服部 泰 (41法)

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